学校法人 せいわのわ 名誉理事長 山中 倫雄 連載インタビュー
なずなの花のように
第5回【制度の谷間にいる人 〜南海学園で発達障害児とその親を取り巻く問題に向き合う〜】
希望が丘学園では、学習においては長年にわたって講師しか雇っておりませんでしたが、私は「学校教育を導入しないといけないのではないか」と考えました。
専門教育として学園を位置づけつつ、中学校の分校とすることでそれぞれの中学校の卒業としました。何十年も続けてきた仕組みを変えてから、私は今度は「南海学園」の学園長として赴任することになりました。
制度の谷間
高度経済成長期の頃の日本は、さまざまな施設をどんどん造っていましたが、“制度の谷間”にいる人に光が当たっていませんでした。
高知でいえば、重度知的障害者が通える施設はある。重度身体障害者が通える施設もある。しかし、重度心身障害のある子どもを受け入れる施設は長年ありませんでした。
重度心身障害のあるお子さんがいらっしゃる山崎さんという方が大変な苦労をして、「制度も施設もないなら仕方がない。自宅を開放して、自分たちがボランティアで重度心身障害児を受け入れるから、困っている親御さんは一緒に過ごそう」と声を上げ、自分たちの力で昭和41年に重度心身障害者施設「土佐希望の家」をつくられました。
時代とともに制度はいろいろと出来ていましたが、その谷間はとても深いものがあったのです。
当時、県立の施設だった「南海学園」には4つの病棟があり、そのうちの一つが強度行動障害のある方が在籍する「ひまわり」でした。
職員たちは、もの凄く精力を注いでいました。中でも、私がかつて難聴幼児通園センターの時に新採した方で、南海学園へ異動していた田村謙仁さんという方は、エリック・ショプラー教授が始めた生活環境・学習環境やスケジュールを視覚的に示す方法である「TEACCHプログラム」を、重度の自閉症の生徒さんで実践し職業的自立を目指そう奮闘していました。
物理的に教室も変えまして、一人一人特徴が違いますから、一人一人のデスクと作業課題も用意しました。さらに朝の時間と午後の時間のスケジュールを立てて過ごすと、生徒さんがすごく落ち着いてくるんですね。
好きなことに集中するから、健常の方ではできないような集中力を持ってやれるんです。
そのうちに精神障害児通園事業(今でいうデイケア)を行っても良いという風に制度が変わりまして、田村さんが「これを始めてみよう」と言い、自閉症の幼児が通えるデイケア「あおぞら」をつくることになりました。
ところが、大きな問題点がありました。それは二重措置です。保育園に通っている幼児は、措置費が二重取りになってしまうため、制度上通うことができませんでした。この壁が長い間続きまして、苦労しました。
「保育園に通っているが、子どもを通わせたい」という声があれば、私は“隙間の時間”に来ていただいて保育料はいただかないという風にしましたが、「県立施設でなんということをしているんだ!」と行政から睨まれました。
しかし、目の前にいるお子さんたちは、今この時期に取り組まなければ言葉が育たないんです。
谷間から救い出す
障害者とその家族にとって、制度は支援にも壁にもなるものです。
発達障害がある方は、長い間“制度の谷間”で過ごして来られましたが、2004年に発達障害者支援法ができ、特別支援学校へ行けるようになり、相談機関もできました。
2007年には障害者自立支援法という法律ができました。それまでは目の前に身体障害者向けの授産施設があっても精神障害の方は通えませんでしたが、障害者自立支援法によって、身体障害であろうと知的障害であろうと精神障害であろうと、サービスはどこででも受けられるように変わりました。
ところが、その制度は、これまでの応能負担から応益負担に変えてしまったんです。その方の納税する能力に応じて負担額を決めるのではなく、金持ちであってもなくても一律でお金をいただきますとなったんです。
これで障害者団体は大騒ぎになったんですね。改悪だと。
そうした問題を受けて障害者自立支援法が一部改正され、2012年に障害者総合支援法ができました。
この時に、保育園に通っている子どもがデイケアに通えない二重措置の問題も解除されたんです。それまで悪戦苦闘してきた方々が声を上げて、制度の谷間からやっと日の目を見ることができたんです。
また、この時に「放課後等デイサービス」も認められることとなりました。
2002年に小学生が放課後を過ごせる放課後児童クラブができましたが、障害のある子どもは排除されてきたんです。
親御さんたちが独自に障害者通園施設をつくりましたが、それが放課後等デイサービスの源流になっています。
私は過去の経験から見て、障害者はいつも谷底にいて、這い上がって親が努力をしてやっと日の目を見ることができるんだと感じていました。その中でも、一番最後に残ったのが放課後等デイサービスの必要性を訴えてきた親たちです。そして、親と寄り添いながら戦ってきた方々も、私はたくさん知っています。
当法人では、2019年より児童発達支援・放課後等デイサービス「アルペン清和」を運営しています。
起ち上げたのは息子ですが、私のかつての「難聴幼児通園センター」、そして「南海学園のあおぞら」の経験が、すべて「アルペン清和」へとつながっているんだと不思議な気持ちになりました。そのことを息子によって教えられたと思っています。